京都地方裁判所 昭和53年(ワ)1367号 判決 1982年6月04日
原告
斎藤隆
原告
斎藤恵美子
右両名訴訟代理人
浜田加奈子
被告
医療法人医仁会
右代表者理事
武田隆男
右訴訟代理人
三木善続
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実《省略》
理由
一幸代の症状と被告の診療経過
<証拠>を総合すれば以下の事実を認めることができる。
1 亡斎藤幸代は、昭和三八年一一月一三日生れの女子で、昭和五二年一二月三日当時中学校二年生在学中であり、性格は内向的で無口であつた。幸代は、昭和五二年一一月一九日心窩部痛を訴えて武田病院で受診し、同部位に圧痛が認められ胃炎と診断されてブスコパン(鎮痙剤。後記参照。)の筋肉注射を受け、SM散(胃腸剤)、セベラーゼ(健胃消化剤)及びブスコパンを二日分処方してもらつた。
幸代は、同年一二月三日平常通り登校し当日は土曜日であつたので帰宅後原告ら両親と近鉄百貨店京都店へ買物に出掛けた。同日午後三時頃幸代は軽い腹痛を訴え右下腹部を押さえて歩いていたが、午後四時頃に帰宅した後は夕食の仕度を手伝つており特に異状はみられなかつた。ところが、同日午後六時頃の夕食時になつて幸代は「胸がむかつくので食べたくない。」と言つて食事を摂らず洗面器を用意して二階の部屋に上つてしまつた。母親の原告恵美子は、幸代の腹痛を生理痛だろうと推測し放置していたが午後一〇時前になつて幸代が微量だが嘔吐をし摂氏(以下同じ)三九度の発熱をしているのに気づいた。そこで原告らは午後一〇時頃原告隆の運転する車で幸代を救急病院である武田病院へ連れて行つた。同日午後一〇時一五分頃同病院の当直医小川哲哉が幸代を診察したが、幸代は臍周辺部に鈍痛を訴えており、体温は三九度三分で発汗嘔気があり、触診したところ臍周辺部に筋性防禦及び圧痛があり、ブルンベルグ氏症状は認められなかつた。尿の定性検査の結果蛋白が三〇ミリグラムパーデシリットルおりていることが分つたが小川医師は患者が女性であることも考慮に入れ特に有意なものとは考えなかつた。幸代は小川医師が診察している間仰臥位で静かにベットに横たわつており問診にも本人が答えていたが、小川医師は前記の諸症状から一応「急性腹症」と診断しブスコパン(副交感神経を抑制する鎮痙剤で急性胃腸炎、胆石、腎石などの疼痛の軽減に有効である。)を静脈注射し様子を見たが幸代の疼痛は軽減しなかつた。小川医師は、整形外科専門医であつたところからさらに腹部専門医師の鑑別診断を受ける必要があると考えたが当夜武田病院には腹部の専門医は不在で満床でもあつたので、原告らに対し、「自分は専門医でないし今武田病院は満床なので緊急に手術をしなければならない虫垂炎のような病気の場合武田病院では処置も入院もできないので腹部の疾患を診てもらえる病院に行つて欲しい。」と告げたところ原告隆からどこか紹介して欲しいと依頼されたので、看護婦に被告病院へ電話をさせ、被告病院には一般外科の医師が当直していること及び入院も可能であることの確認をえて原告らに対し被告病院へ行くよう指示した。幸代は小川医師の手配した救急車で被告病院まで先に運ばれ後れて着いた原告隆が被告病院待合室で待つていた幸代を診察室へつれて入つた。幸代は終始強い痛みを訴えることなく原告隆がたずねても幸代は「ちよつと痛い」とか「じわつと痛い」としか言わなかつた。
2 被告病院の当直医鎌田寿夫は武田病院の医師が幸代を虫垂炎又は腎盂腎炎と診断し転送してきていることを知り昭和五二年一二月四日午前〇時頃幸代の診察を始めたが、幸代は鎌田医師の腹痛発症時期、それ以前の身体の状態、発症後の経過等についての問診に対して、「最近胃の具合が悪かつた。今日(昭和五二年一二月三日)も平常通り登校して帰宅したが午後八時頃一回嘔吐しその後吐き気が続いている。また同時刻頃から胃のあたりが時々痛むようになつたが放置していたところ午後一〇時頃三九度に発熱したので武田病院で受診した。」と質問の趣旨を理解して平静に症状を説明していた。幸代は体温三八度七分で口唇が乾いており軽度の脱水症状がみられたが、血圧は九八/三〇(最大/最小。以下同じ。)脈拍は規則正しく結膜に貧血は見られなかつた。上下腹部に間欠的な自発痛を訴えたが腹部膨満はなく波動も触知しえず圧痛は認められたが部位が特定せず触診する度に変りブルンベルグ点、マックバーネー点、ランツ点、ローゼンシュタイン点、ロブシング点はいずれも徴候を認めず、上腹部に鼓音を聴しあまり強くない筋性防禦が認められたが触診するとくすぐつたいと感じていた。続いて鎌田医師は、検尿を行つたところ尿が少し濁つて蛋白がおりていたがあまり強度でなく血尿もなかつたので武田病院での診断名であつた腎盂腎炎の疑いは無いと判断した。血液検査の結果は、白血球数七五〇〇、赤血球数三五二万、ヘマトクリット三〇パーセント、ヘモグロビン13.1グラムパーデシリットルでほぼ正常値であつた。胸部(立位)及び腹部(立位と横臥位)のレントゲン写真を撮ると胸部レントゲン写真の左横隔膜下に極めて少量のガス様陰影が見えたので幸代を約一時間左半身を上にした横臥位で寝させておき立位の胸部レントゲン写真を再度撮り直したところ、前回よりは薄いが同じ位置に同様のガス様陰影が認められた。鎌田医師は、各種検査の合間に再度触診し、更に、幸代が仰臥位の場合と横臥位の場合とで腹痛に差異がないこと、幸代に部屋の中を歩かせてみて普通の姿勢で自力歩行が可能で歩いても腹部にひびかないこと、約一時間半に及ぶ診察時間中に腹痛が増強してこないことなどを確認した。
以上のような診察・検査の結果、鎌田医師はレントゲン写真で左横隔膜下にガス様陰影が認められたこともあつて腹膜炎の疑いは持ちながらも視診によると腹痛にあえいでいるようには見えず幸代の全身状態も良く腹部所見が乏しく白血球の増加もなかつたので、直ちに腹膜炎と確定診断することはできず入院させて朝まで経過を観察することにし、幸代及び原告らに「胃・十二指腸潰瘍の穿孔による腹膜炎の疑いはあるがその割には痛みが弱く全身状態も良いので、検査の結果などを考えても今すぐ手術をする必要はない。入院して様子を観察し、手術の必要が出て来るようだつたらすぐ手術をしましよう。」と話し、原告らは幸代を入院させた。鎌田医師は看護婦に入院後の処置として、絶飲絶食、朝(昭和五二年一二月四日午前九時頃)まで経過観察すると共にケーワン(ビタミンK1製剤)一アンプル、ラクテック(血液代用剤・乳酸ナトリウム加リンゲル)五〇〇ミリリットル、ネオラミン・スリービー(混合ビタミン剤)、ビタミンC五〇〇ミリグラム、ケフリン(セファロスポリン系抗生物質製剤)二グラムの点滴を継続すること、朝血液検査及びレントゲン撮影をすること、を指示した。鎌田医師は、幸代が入院した頃電話で武田病院の小川医師に幸代の症状をどのように判断したか尋ねたが明確な解答をえられなかつたので更に鎌田医師が以前勤務していた長浜日赤病院の外科部長で腹部外科専門の原慶文医師に電話をかけ幸代の外来診察時に撮つた胸部レントゲン写真にみられたガス様陰影についてどのように判断すべきかまたどのように処置すべきかについて相談したが適確な結論がでなかつたので暫く経過を観察することとした。
3 幸代が被告病院に入院したのは昭和五二年一二月四日午前一時三〇分であり、入院時は、血圧一〇〇/五〇、体温三九度、脈拍一分間(以下同じ)七二回、顔色普通で、看護婦の質問に対し「軽度の胃痛及び吐気があるが、頭痛、嘔吐はなく食欲はある。尿は二日に一回、便は一日四、五回。」と答えていた。看護婦は、幸代にアイスノンを貼用し、ケフリンに対する過敏性を検査のうえ鎌田医師の指示した点滴を開始した。同日午前二時三〇分に二本目の点滴を追加したが幸代は睡眠中で一般状態に異常はなかつた。同日午前五時五〇分に三本目の点滴を追加したが一般状態に異常はなく吐気、嘔吐もなく胃痛も訴えなかつた。同日午前六時には、血圧八四/五〇、体温三九度五分、脈拍九六、軽度の胃痛、吐気、排ガス、腹鳴、発汗、口渇はあるが、頭痛、嘔吐はなく、顔色は普通で他に特に一般状態の異常は認められなかつた。
鎌田医師は、同日午前九時過ぎに幸代を診察したが、幸代は外来診察時よりはやや強い腹痛を訴えており、筋性防禦は板状硬ではなかつたが波動を触知し腹水の貯溜を認め腹部がやや膨満しており圧痛も増加して全身状態も少し悪化していた。同日朝のレントゲン撮影の結果によると外来診察時の胸部写真二枚と同じ位置に再び極めて少量の薄いガス様陰影が認められたにとどまつたが、血液検査の結果白血球数が二万一〇〇〇と急増していた。鎌田医師は、そのレントゲン写真自体からはガス様陰影がフリー・エア・ガス(遊離ガス)と断定できる状態ではないと思つたが、他の臨床所見、検査結果、発症後の経過時間などを総合すればフリー・エア・ガスと断定すべきであると考え結論として胃又は十二指腸潰瘍の穿孔による腹膜炎を起こしているものと診断し開腹手術の実施を決定した。鎌田医師は、直ちに手術介助の医師の来援を依頼するとともに穿孔部位を確定しておくため同日午前一一時頃幸代にガストログラフィン七〇ミリリットルを飲ませて胃透視術を行なつたが、幸代はその一部を嘔吐し胃・十二指腸の穿孔部位は確定できなかつた。看護婦は、鎌田医師による手術準備の指示により同日午前一一時三〇分幸代の血管を確保し、同日午後〇時三〇分剃毛し、同日午後一時四五分導尿用カテーテルを挿入するとともに硫酸アトロピン(唾液分泌抑制剤)0.5ミリグラムを注射して幸代を手術室に運んだ。
4 鎌田医師は、幸代の心電図をモニターで観察しながら同日午後一時五五分麻酔導入、続いて同日午後二時気管内挿管し同日午後二時一三分向原医師介助のもとに手術を開始した。鎌田医師は、幸代の胸部レントゲン写真に認められたフリー・エア・ガスを上部消化管の穿孔によるものと考えたのでまず上部正中切開により開腹したところ腹部全体に膿性腹水の貯溜が著明で横隔膜下にまで及んでおり、胃・十二指腸を調べたが付近に穿孔を認めなかつたので更に下腹部に延長して切開し虫垂の周辺を調べると回盲部に一塊となつた腸係蹄が認められ、精査すると虫垂周辺に壊疽組織があつて膿瘍を形成していた。鎌田医師は、虫垂を切除しその穿孔の有無を調べたが虫垂は蜂窩織炎状態を呈していたが比較的きれいな状態のまま摘出でき穿孔部位も認められず、また炎症の波及した回腸末端も膿の付着は認められるが腸壁は正常であつたので、レントゲン写真上に認められたフリー・エア・ガスは虫垂周辺の壊疽組織より産生されたガスと考えざるをえなかつた。鎌田医師は、腹腔内を生理食塩液で洗浄し排液用のドレーンを四か所計九本挿入し局所にセファメジン(セファロスポリン系抗生物質製剤)二グラムを使用し腹壁を三層に縫合して同午後三時五五分手術を終了したが腹膜炎が予想に反して悪化していたので予後は危険であると考えた。幸代の手術室における状態は、午後一時五五分(麻酔導入時)血圧一二八/七八、午後二時一三分(執刀時)血圧一四〇/八〇、脈拍一三二、午後三時二〇分血圧一二二/八二、脈拍一八〇、体温四〇度、午後三時五五分(手術終了時)血圧一一八/七八、脈拍一八〇、午後四時一〇分(抜管時)血圧一一〇/七四、脈拍一八〇、午後四時三〇分血圧一〇六/六六で異常は見られなかつた。鎌田医師は、看護婦に対し術後の処置として、午後一〇時まで幸代を酸素テントに入れること、疼痛時にホリゾン(精神神経安定剤)及びソセゴン(鎮痛剤)各一アンプルを、朝昼夕にワゴスチグミン(副交感神経興奮剤)一アンプルを、体温が三八度以上になればメチロン(解熱鎮痛剤)一アンプルをそれぞれ筋肉注射すること、絶飲絶食とし食事は排ガスをみてから与えること、を指示した。
5 幸代は、同日午後四時四〇分点滴をしながら病室に戻り、麻酔から覚醒したが血圧は九四/五〇で顔色は普通であつた。看護婦は鎌田医師の指示どおり幸代を酸素テントに入れ毎分八リットルの酸素を流し、同日午後五時二五分点滴が終つたので更にラクテックG五〇〇ミリリットル、セファメジン二グラム、ケーワン、ビタミンC五〇〇ミリグラム、ネオラミン・スリービー、ラシックス(降圧、利尿剤)一アンプルの点滴を開始した。鎌田医師は、その頃容態観察のため病室に行き看護婦に指示して幸代にワゴスチグミンの筋肉注射をさせた。当時幸代は血圧九四/五〇、脈拍一二〇、呼吸(一分間以下同じ)二四、吐気や胸苦しい感じはないが顔面紅潮気味で自制できる程度の創痛があり、喀痰は可能で咽頭に不快感があり排液用のドレーンから九六グラムの排液があつたので看護婦にガーゼの交換をさせた。鎌田医師は、同日午後七時頃にも幸代の状態を見に行つたが特に変化はなかつた。同日午後八時体温三九度五分、脈拍一四四、血圧九四/五二吐気はなく顔色良好、発汗多量自制できる程度の創痛があり、体温が高かつたので看護婦は幸代に氷枕を貼用させると共に鎌田医師の指示していたメチロンを筋肉注射した。同日午後一〇時幸代の一般状態には特に変化がなかつたので鎌田医師の指示通り酸素テントを除去した。同日午後一一時多量に発汗し、鼻腔より挿入した管から少量の胆汁の流出があつたので看護婦は幸代を左側臥位にさせ、また手術創から多量の浸出液があつたのでガーゼを交換した。その頃鎌田医師は幸代の一般状態に特別な変化のないことを確かめて看護婦に指示してワゴスチグミンの筋肉注射をさせた。同日午後一一時二〇分体温三八度一分、脈拍一三〇回、呼吸三八回でやや浅表、軽度の全身倦怠感を訴えたが他に特別の症状は認められず、引続いてラクテックG五〇〇ミリリットル、ネオラミン・スリービー、ビタミンC五〇〇ミリグラムの点滴を追加した。翌昭和五二年一二月五日午前〇時三〇分血圧八八/五〇、脈拍一五〇、鼻腔より挿入した管の異和感を訴えたが顔色は普通で口唇色は良好であつた。付添の両親は看護婦に「幸代が熱感と悪寒を交互に訴える。」と告げた。同日午前二時四〇分幸代は創痛はなく「気分は比較的良い。」と答えたが、体動が激しく多量に発汗していたので寝間着を交換し、両下二本のドレーンより排液が著明であつたのでガーゼ交換をし、尿の流出が不良であつたので導尿カテーテルを調べたが異常はなかつた。同日午前三時一〇分幸代の点滴にラクテックG五〇〇ミリリットル、セファメジン二グラムを追加したが幸代は相変らず体動が激しかつた。同日午前四時三〇分幸代は背部のみの強度の熱感と、四肢の冷感を訴え多量に発汗しており相変らず体動が激しく、付添の両親は看護婦に「幸代が矛盾した事を良く話す。」と訴えていた。同日午前五時四〇分血圧九〇/三〇、脈拍一四八、体動が激しく抑えきれないので看護婦は鎌田医師に電話で連絡し指示を仰いだ。鎌田医師は、看護婦に幸代の血圧と尿量を確かめたうえでホリゾン一〇ミリグラムを筋肉注射させた。同日午前六時一〇分幸代は入眠した。同日午前六時四〇分幸代は突然爪床に強度のチアノーゼが現われまた下顎呼吸を呈し血圧は五〇/二二となつたため、看護婦は鎌田医師に連絡し同医師の指示により毎分六リットルの酸素吸入を開始し点滴の速度を早めエホチール(循環増強剤)一アンプルを側管より点滴に追加した。鎌田医師は、直ちに来診し同日午前七時術後の尿量が五〇〇ミリリットルでドレーンよりの出血がないことを確認したうえでエンドトキシンショックと診断し、挿管して気道を確保し看護婦に指示してショックの治療としてソル・コーテフ(ステロイド。水溶性副腎皮質ホルモン剤。)五〇〇ミリグラム四アンプルとジギラノゲンC(強心、利尿剤。)及びエホチール各一アンプルを側管より点滴に追加し、またラクテックG五〇〇ミリリットル、ネオラミン・スリービー、ビタミンC五〇〇ミリグラム、セファメジン二グラムの点滴を更新させた。同時刻における血圧六四/四〇、脈拍は一八〇で微弱であつた。同日午前八時二〇分幸代に対し全開で点滴を施行し導尿カテーテルより尿の流出がないためラシックス一アンプルを側管より点滴に注入したが、同日午前八時三〇分なお尿の流出はなく、強度に発汗し、顔面に冷汗が見られ、血圧は触知不能、脈拍は微弱で爪床チアノーゼが著明なためモニターを装着した。鎌田医師は、看護婦に指示して同日午前八時四〇分ノルアドリナリン(血圧上昇剤)一アンプルを点滴内へ投与させ更に一アンプルを側管より追加し、午前八時四五分なお脈拍触知不能のため更にノルアドリナリン一アンプルを側管より投与させたが、午前八時五〇分幸代は死亡した。鎌田医師は、幸代の死因を急性虫垂炎を原因とする汎発性腹膜炎によるエンドトキシンショックと診断した。
以上の事実が認められる。
二知見
<証拠>によれば次のとおり認められる。
1 急性腹症
急性腹症とは、急性腹膜炎の症状を呈し、激烈な腹痛を訴える症候群で緊急手術を要するものをいうが(以下いわゆる急性腹症という。急性虫垂炎、汎発性腹膜炎等を含む。)、更に急性腹症の症状は示すが必ずしも緊急手術を要しないもの及び急性腹症の症状を示す内科的疾患や精神病で緊急手術は禁忌であるものなど緊急手術の要否の鑑別を必要とするものが含まれる。診断は、疼痛の程度・部位・性質・筋性防禦・圧痛の有無・部位・程度、嘔吐・下痢・発熱の有無・程度、全身症状などのほか適宜レントゲン撮影・白血球数・血沈などの検査をし、その結果等を総合してなされるが、一般的に急性腹症は発病時から時間の経過と共に臨床症状が比較的急速に変化するので診断には常に発症後の経過時間を考慮しなければならず、従つて問診を重視する必要があり、また鑑別診断が不可能な場合でも緊急手術の要否だけは早急に判断する必要がある。症状が定型的に判然と出現した場合の鑑別診断は容易であるが非定型的な症状しか現われない事も稀ではなくその場合の診断は容易でない。非定型的な症状しか現われず鑑別診断が不可能な場合は結局腹部所見や全身症状の悪化の程度により区分し、腹膜刺激症状が激烈で脈拍の性状の悪化、白血球数の著しい増加、強度でかつ広汎な腹痛・筋性防禦・圧痛がみられ嘔吐が頻発するような場合は一般に病変が高度であることが多いので確定診断は後にしてまず緊急手術に踏み切つてみる他ないが、腹部所見や全身症状に顕著な悪化が認められない場合は一般に病変もそれほど高度でないことが多いので何らかの症状が現われるまで経過を観察し確定診断に努力すると共に症状に悪化がみられた場合は手術の処置を取ることとなる。
2 急性虫垂炎
虫垂炎とは、腸内細菌各種を起炎菌として何らかの原因により虫垂壁に炎症性変化の起る疾患をいい、炎症の程度により、軽徴なもの、化膿性炎症の顕著なもの、更に壊疽性のものまで種々に区別することができる。前駆症状として便秘、下痢、食欲不振、悪心などを訴えることがあるが、症状としては突然上腹部および臍部の腹痛を訴えそれが漸次回盲部に移行し、または最初から回盲部の腹痛を訴えることが多く、腹痛は激痛、鈍痛を問わないが悪心嘔吐を伴うことが多い。圧痛は筋性防禦と共に触診上最も重要な所見で右下腹部特にマックバーネー点(臍と右上前腸骨棘とを結ぶ線上において右上前腸骨棘より五センチメートル内方に位する点)及びランツ点(左右上前腸骨棘を結ぶ線上における右三分の一と中三分の一との境界点)に認められることが多いがその程度には虫垂の位置が関係し必ずしも虫垂の病変の程度とは一致しない。また背臥位において圧痛が著明でない場合でも左側臥位でマックバーネー点を圧すると著明な圧痛が認められたり(ローゼンシュタイン症状)、炎症が進行して体壁腹膜に及ぶ場合には回盲部を徐々に深く圧迫し急に手を離すと強い疼痛を訴える(ブルンベルグ徴候)こともあり、下行結腸を圧迫して大腸のガスを盲腸に逆行させると回盲部に落痛を訴える(ロプシング症状)こともある。更に筋性防禦が右下腹部に認められることが多いが腹腔内炎症があつても壁側腹膜に刺激の及ばないときは現われずまた筋性防禦の強さは病変の重症度と必ずしも一致しない。体温は上昇するがその程度は一般に軽微で三八度以下のことが多く本症で三八度以上の体温上昇を見る場合には穿孔や腹膜炎の併発を考慮すべきである。白血球数が一万以上に増加することが多いがその増加は必ずしも病変の程度に一致するものではない。
3 急性腹膜炎
(一) 穿孔性腹膜炎とは、胃・十二指腸潰瘍、急性虫垂炎の穿孔などにより内容が漏出しそのため腹膜の刺激、感染が惹起されるもので穿孔と同時に激烈な腹痛を訴え嘔吐を伴うことが多くまたショックに陥ることもある。腹部所見は、急速に増悪し腹痛(持続痛であることが特徴である。)及び圧痛(ブルンベルグ徴候が認められることが特徴である。)は強度に、筋性防禦は板状硬になるが共に穿孔部位から腹部全体に拡大の傾向を示すことが多く、その場合は緊急に開腹手術をする必要がある。一般に体温は上昇して三八度以上に達し血中白血球数は更に増加し患者の全身状態は著しく悪化し強制的前屈姿勢をとつて胸式呼吸を営み顔貌は苦悩状を呈するようになる。立位のレントゲン撮影により横隔膜下にフリー・エア・ガスが認められることが多い。
(二) 汎発性腹膜炎とは、炎症が更に進んで全腹腔に及んだ状態をいい激烈な腹痛を訴え強度の圧痛・筋性防禦が腹部全体にみとめられ一般症状の悪化も著しく嘔吐が頻発し排ガスは停止し腸管麻痺によるガスの蓄積を原因とする鼓腸により腹部膨満を呈し脱水症状、電解質異常、循環障害が増悪する。但し、鼓腸は穿孔による汎発性腹膜炎に特有の症状ではなく腸カタルや腸の血行障害による吸収不全や発酵しやすい食物の摂取によつても起りうるのであつて、腹膜炎による場合は多く広汎性で一様にビール樽状に膨満する。本症は可及的早期に開腹手術を行い原因疾患の処理と排膿を行う必要があるが既に毒素の影響が全身に及んでいるため予後は極めて不良である。
(三) 限局性腹膜炎又は膿瘍形成とは、穿孔性腹膜炎が汎発性腹膜炎に至らず穿孔部が周囲の腸管や大網などによつて囲まれた状態で膿瘍を形成するものをいい、虫垂炎の穿孔による場合は回盲部に形成される盲腸周囲膿瘍であることが多い。また虫垂壁に炎症が起こると虫垂の周囲に滲出液が貯溜し炎症の進行に従い漸次混濁して膿性となりその中に白血球が増加し菌が認められるようになるがそれがしばしば限局して盲腸周囲膿瘍を形成することもある。本症の場合一般には汎発性腹膜炎のような重篤な症状は呈さず筋性防禦や圧痛部位も病巣部に限局されるが体温は三八度から三九度に上昇し白血球数の増加も著明である。膿瘍形成は二、三日かかり最初抵抗として触れた部分が漸次境界の明らかな腫瘍として触知できるようになることが多くこの部位の圧痛は著明である。このようにして形成された膿瘍は時にはそのまま吸収されて治癒することもあるが切開を要することが多く放置すると腹腔内に破れて汎発性腹膜炎の原因となることがあるので必要に応じて切開・排膿の処置を取る必要がある。
(四) 透壁性腹膜炎とは、虫垂炎などにより腸壁に著明な炎症があるときに細菌が肉眼的には穿孔のない腸壁を浸透して腹腔内にでるため引起される腹膜炎をいい一般に穿孔性腹膜炎に比して症状は軽く限局する傾向が強く予後も比較的良好だが時には穿孔性腹膜炎に移行することがある。
4 急性胃腸炎
急性胃腸炎とは、各種の原因により胃や腸に急激な炎症が起り腹痛・嘔吐・発熱等を伴う症候群をいいしばしば下痢を伴う。圧痛は胃炎の場合は上腹部に腸炎の場合は腹部全体特に下腹部にみとめられるが、筋性防禦は重症の場合をのぞいて認められることは少ない。時に軽度の白血球増加がみられる。体温は発病後数時間のうちに三八度から三九度に上昇するがその上昇と比較すると腹部の局所症状が軽微である。重症の場合脱水症、アシドーシス、ショック症状におちいる。治療は抗生物質等薬剤の投与による。重症の場合診断には、いわゆる急性腹症との鑑別が必要である。
5 胃・十二指腸潰瘍の穿孔
胃・十二指腸潰瘍穿孔とは、胃・十二指腸壁が過分泌の胃液によつて腐蝕し組織欠損を生じ更に穿孔して内容物が遊離腹腔中へ流出するものをいい、発作的な上腹部の激痛とショック症状に始まり上腹部に強度の筋性防禦及び圧痛が認められるなど急激な腹膜炎症状を現わす。立位のレントゲン撮影により横隔膜下にフリー・エア・ガスがみられることが多い。治療は開腹手術によるが発症後二四時間以内が望ましい。
6 エンドトキシンショック
エンドトキシンショック(細菌性ショック・敗血症性ショックの一種)とは、糖尿病・肝硬変等の慢性疾患に罹患しているとか術後等宿主が消耗状態にある場合に抗生剤・抗癌剤・副腎皮質ステロイド剤の使用、諸種の検査(気管切開、各種カテーテル、補助呼吸、交換輸血など)の施行、や穿孔性腹膜炎・火傷・外傷・術後感染などの急性疾患への罹患などが誘因となつてグラム陰性菌(その約三分の一は大腸菌)の菌体内毒素エンドトキシンが大量に血中に入り循環動態に異常をきたしショック症状を呈するものをいう。そのショック症状は、他のショックとは異なつた特徴的な臨床像を呈し初期には悪寒戦慄を伴なう高熱を発し低血圧ではあるが皮膚は温かく紅潮し乾燥しており血液量は正常で心拍出量も正常か増加し末梢血管抵抗は低下し呼吸性アルカローシスを呈するが、晩期になると他のショックと同様心拍出量が減少し末梢血管抵抗が増大し四肢冷感・末梢部のチアノーゼ・乏尿・代謝性アシドーシス・意識障害・多核白血球の増加などが現われる。このため早期診断及び治療が困難で死亡率も高い。
治療方法としては、急激な死亡を招く恐れがあるため救急処置を必要とし外科的処置により排膿や感染を抑制すると共に種々のグラム陰性菌に作用する広域の抗生剤(スファロスポリン系、カナマイシン、ゲンタマイシン、ペニシリン等)を併用投与し、その外ショックの治療として補液や酸素吸入の施行、強心剤や昇圧剤の投与などを行う。副腎皮質ステロイド剤の効果については必ずしも意見が一致していないが大量投与によつて奏効する例が多いといわれている。
三幸代の発症時期、死亡原因について
前記認定事実及び知見によれば、幸代は昭和五二年一二月三日午後一〇時頃までに化膿性虫垂炎を原因として既に回盲部に膿瘍を形成しグラム陰性菌による汎発性腹膜炎を伴発していたものであつて同年同月四日午後鎌田医師による開腹手術を受けたが翌同年同月五日午前八時五〇分エンドトキシンショックにより死亡したと認めることができる。
四被告の責任
1 被告と幸代との間に幸代が被告病院で受診七た昭和五二年一二月四日午前〇時頃被告の履行補助者である担当医師らにおいて幸代の急性腹症に関し適切な診察及び検査を行いその原因を把握したうえで開腹手術を含む適切な治療をする旨の診断契約が成立したことは当事者間に争いがない。
2 そこで原告らは、被告病院の担当医師鎌田寿夫が幸代の症状を虫垂炎による腹膜炎と診断せず誤診した旨主張する(請求原因3(一))ので検討する。
前記診療経過に関する認定事実によれば、鎌田医師は幸代の診察に当り急性腹症を念頭におき鑑別診断については問診・視診・触診並びに血液・レントゲン等の検査を実施しそれらの結果により腹痛を伴う急性腹症の一般的症状として挙げられる自然痛・圧痛・筋性防禦の部位及び程度、発熱の仕方及び程度、白血球数の増加並びに全身症状などを総合して判断したこと、右診療方針は急性腹症の鑑別診断の方法として一般に採られているものであること、幸代は昭和五二年一二月四日午前〇時頃の鎌田医師による初診時において既に化膿性虫垂炎を原因とする膿瘍の形成により汎発性腹膜炎を発症していたが鎌田医師は幸代を診察し検査した結果又は十二指腸潰瘍の穿孔による腹膜炎の外に急性虫垂炎や急性胃腸炎の可能性も疑いながら碓定診断をすることができなかつたことが認められる。すなわち、前記事実と弁論の全趣旨によると、次のとおり認めることができる。
(1) 幸代は、鎌田医師の問診に対し自ら応答し、仰臥位と横臥位とで腹痛に差異がないと答え、部屋の中を自力で歩行でき、触診するとくすぐつたいと感じていたことなどから、通常強制的前屈姿勢を採つて胸式呼吸を営まざるをえない程激烈だといわれる汎発性腹膜炎の腹痛の程度と比較してそれほど強い腹痛を訴えていなかつた。
(2) 触診の結果、マックバーネー点、ランツ点、ローゼンシュタイン症状、ブルンベルグ徴候、ロプシング症状等急性虫垂炎又は腹膜炎に特有な圧痛点及び徴候はいずれも認められず、筋性防禦は上腹部にみとめられたがそれほど強くなく波動(腹水等の貯溜を確かめる触診の一方法)を触知しなかつたし鼓音は認められたが腹部膨満も認められなかつたことなど汎発性腹膜炎に特有の顕著な腹部所見が現われていなかつた(武田病院の小川医師もブルンベルグ徴候のないことを確認している)と認められる。
(3) 体温は三八度七分で口唇が乾いており軽度の脱水症状がみられ、検尿の結果少量の蛋白が認められたが、軽度の脱水症状及び蛋白尿は発熱疾患にしばしば伴い発熱は各種疾患に伴うものである。また血圧は九八/三〇であり幸代の平常値は明らかでなかつたが一般にその平均値は最大血圧が年令に九〇を加えたもの、最小血圧がその三分の二とされ個人差が大きく女子は男子よりいくらか低くまた心身状態や体位によつても変動するといわれており結膜に貧血がなかつたこと、鎌田医師の問診に応答しその指示に従いレントゲン撮影・検尿等の検査に応じていることなどから特に低血圧の状態にあつたとは認められず従つてその血圧は幸代の平常値にほぼ近かつたものと認められる。白血球数は約七五〇〇であつたが健常成人の白血球数の平均値は約七〇〇〇であり個人差や測定条件による変動がかなり大きいため約四〇〇〇から一万の間が正常範囲とされ(白血球増加症は、その数が一万以上に達しておりしかも生理的諸要因(運動後、食後、月経、寒冷等)による増加でないと認められるものをいい種々の疾患において証明され炎症の亢進などを示す重要な指標とされる。)、幸代の場合平常値が分つていなかつたため健常成人の平均値を基準とせざるをえないが、これによると特に増加傾向にあつたと認めることはできず、汎発性腹膜炎にしては通常みられる著しい全身症状の悪化や白血球数の増加がなかつた。
(4) 鎌田医師は穿孔性腹膜炎の可能性を考えこれを確認するためフリー・エア・ガスの診断に有効とされている体位を約一時間幸代にとらせた上で再度レントゲン撮影をしたがいずれも左横隔膜下に極めて少量のガス様陰影を認めたにとどまり、しかも第二回目は第一回目より不鮮明であつた。前記のとおり通常消化管の穿孔の場合には顕著な腹部症状や全身症状の悪化など急激に重篤な腹膜炎症状が現われるのに幸代の場合穿孔にしてはあまりにもこのような異常所見が認められず(結果的には穿孔によるものではなくガス産生菌から発生したガスと判断される。)白血球数の増加等もなく、更に鎌田医師は幸代に対し腹痛発症の時期、それ以前の身体の状態、発症後の経過等適切な問診をしており、幸代がこれに対して、「昭和五二年一二月三日午後八時頃から腹痛や嘔吐が始まり同日午後一〇時頃三九度に発熱した。」と答えていたため、鎌田医師は腹痛の発症から僅か二時間で急激に発熱したと考えざるを得なかつたので急性胃腸炎の可能性も捨て切れずレントゲン写真にみられた陰影をその量からみて穿孔によるフリー・エア・ガスと直ちに断定できなかつた。通常レントゲン撮影の結果横隔腹下にガス様陰影が認められた場合は第一に消化管の穿孔によるフリー・エア・ガスを疑うべきであるが、医学的な判断は各種所見検査結果等を加味して総合的になされる。
以上によると、被告病院における初診時には幸代が急性虫垂炎を原因とする汎発性腹膜炎に既に罹患していたにしてはあまりにも軽微な症状しか発現しておらず、鎌田医師が胃又は十二指腸潰瘍の穿孔による腹膜炎の疑いがあると診断したのは消化管の穿孔によるフリー・エア・ガスの可能性を念頭において仮に穿孔であるとしても通常急性虫垂炎の場合は腹痛の発症から僅か数時間で穿孔することは極めて稀であり幸代の問診に際しての回答を考え合わせると胃又は十二指腸に以前からあつた潰瘍が穿孔したと考える方が論理的であると判断したもので、幸代の右初診時における前記各症状、各種検査結果、問診に対する応答内容態度等を総合すると汎発性腹膜炎と断定せず右のような診断をしたのもやむをえなかつたというべきである。
なお、証人鎌田寿夫の証言によると、鎌田医師は幸代がまだ一四才の少女であるので差恥心によつて精神的な悪影響が生じるかもしれないと考えダグラス窩穿刺又は直腸診を行わなかつたことが認められ、前掲甲第五・第六号証によると、ダグラス窩穿刺は虫垂が長く下方骨盤腔に向つて延びていていわゆるダグラス膿瘍を相当量形成している場合には有効な診断方法であると認められるが、幸代の場合いわゆる盲腸周囲膿瘍を形成していたのであるから本件では右方法は虫垂炎の診断に決定的な意味を持つものではなかつたと考えられ、右検査方法を採らなかつたことから直ちになすべき処置を怠つたということはできない。また、被告病院では幸代の検尿をしたに止まり排便検査をしていないけれども、幸代は問診に対して排便の異常を訴えていなかつたし、排便の検査は急性腹症の鑑別診断の一方法に過ぎず必須の検査とはいえず必要に応じて適宜検査を実施すれば足りると考えられるから右検査をしなかつたことを以つて直ちになすべき措置を怠つたというのは相当でない。
3 次に、原告らは、開膜手術を遅延した旨主張する(請求原因3(二))ので検討する。
前記知見によると、汎発性腹膜炎又は炎症の拡大傾向のある穿孔性腹膜炎は緊急開腹手術により治療する必要が認められるけれども、急性腹症においても定型的症状がみられずそのため鑑別診断できないときは全身症状等に顕著な異常所見が現われるまで経過を観察して鑑別診断のための資料を収集して他の急性腹症と見誤ることのないよう注意しまた近時抗生物質等による化学療法の目覚ましい発達もみられるところから患者の病態と全身状態を見極め症状に悪化がみられた場合は手術に踏み切る処置を取るべきである。これを本件についてみるに、前記のとおり被告病院による初診当時各種症状・検査結果等を総合しても直ちに開腹手術を必要とする程度の顕著な異常所見は認められておらず、むしろ急性胃腸炎に似た症状を示していたのであり鎌田医師が患者を受け入れて後同日朝(昭和五二年一二月四日午前九時頃)まで経過を観察するという処置を採りその間抗生物質を投与して回復を計り同日午前九時過ぎに幸代を再診し初診時と比較して腹部及び全身症状がやや悪化したことと新たなレントゲン写真に相変らずガス様陰影が存在し白血球が急増したことを認めて同日午後一一時頃開腹手術を決定し直ちに手術の準備に取り掛かつていたのであつて、手術を実施するに至つたのは同日午後二時一三分ではあつたが、その間前記のとおりの諸準備をするうえでやむをえなかつたと認められるから、これを以つて被告に緊急開腹手術を遅延した過誤があつたとみるのは相当でなく、原告の右主張は採用できない。
4 さらに、原告らは、幸代にガストログラフィンを経口投与したことにより手術を遅延させ、かつ腹膜炎を増悪させた旨主張する(請求原因3(三))ので検討する。
前記のとおり鎌田医師は手術に際して穿孔部位を確定するため幸代にガストログラフィン七〇ミリリットルを飲ませて胃透視術を行なおうとしたところ幸代はその一部を嘔吐した。ところで、証人原慶文の証言によると、穿孔部位の確定は手術時間の短縮や切開部分の縮少など患者の手術による負担の軽減に有効であること、右部位確定の方法として少量のガストログラフィンを飲ませてレントゲン撮影をすることは通常採られていることが認められ、本件の場合投与したガストログラフィンの量が少量であるし投与後間もなく手術を開始しているから右投与によつて腹膜炎を増悪させることがあるとしてもその蓋然性は低いと認められ、鑑定証人今西嘉男の証言中右認定に反する部分はたやすく採用することができず他に右認定を左右するに足りる証拠はない。また前記認定事実によると、右投与は穿孔部位を確認し手術を迅速に行ううえで役立つものであり介助の医師の来援を待つ間に行なわれているからこれにより開腹手術を遅延したとは認められず、原告の右主張はいずれも失当である。
5 また、原告らは、被告病院における術前管理の過誤を主張する(請求原因3(四))ので検討する。
(1) 前記のとおり、鎌田医師は幸代の入院後看護婦に朝まで経過観察するよう指示し、看護婦はこれに基づき同日午前二時三〇分、同日午前五時五〇分、同日午前六時にそれぞれ一般状態の異常の有無をチェックし、また同日午前九時過ぎになされた鎌田医師の診察までの間に血液検査及びレントゲン撮影をするなど幸代の症状の変化に留意しながら積極的に鑑別診断をするための資料を収集していたことが認められる。
また前記診療経過のとおり鎌田医師は採尿して肉眼による観察により少量の蛋白が下りているが血尿はないことを確認して武田病院における診断名の一つである賢盂腎炎の可能性を否定した。
(2) 鑑定証人今西嘉男、証人原慶文の各証言によると、救命不可能と予想される重篤な腹膜炎では排膿の目的でドレーンを挿入する応急処置法を採ることにより救命できる場合もあることが認められるが、鎌田医師が幸代を穿孔性腹膜炎と診断の上開腹手術を決定した時点では、前記認定のとおり幸代は腹部及び全身症状共に外来診察時と比較してやや悪化し白血球数も急増していたが、穿孔性腹膜炎にみられる著しい強度の腹痛・圧痛は認められず筋性防禦も板状硬に至つておらず一般状態の著しい悪化も認められずレントゲン検査の結果ガス様陰影の増加もなかつたなど腹部所見・検査結果・全身状態等を総合しても重篤な汎発性腹膜炎症状を呈していると予想できる状態ではなかつたこと、及び幸代が腹痛の発症時期と告げた昭和五二年一二月三日午後八時頃を基準として発症後約一四時間しか経過していないことから、通常直ちに排膿の目的で応急処置を採らなければ救命できないほど病状が悪化しているとは考えられず応急処置をしないまま根治手術の準備にかかるのが一般に行われる処置であるといえる。従つて鎌田医師が原告ら主張のような応急処置を採らなかつたことを以つてなすべき措置を怠つたと認めることはできない。
(3) 前記認定のとおり鎌田医師は幸代の入院後看護婦に絶飲絶食させることと抗生物質・ビタミン剤等の点滴投与を実施するよう指示しているのであり、消化剤・抗生物質を経口投与させたことを認めるべき証拠はない。
(4) 前記認定事実によれば、鎌田医師は幸代に軽度の脱水症状があることは認めており看護記録によれば幸代の尿が二日に一回、便が一日四・五回であるとの記載があるけれども被告病院に来院後幸代は検尿の指示により排尿し同年一二月三日夜武田病院においても検尿しており何らかの措置を必要とする程度の乏尿又は過度の排便があつたと認めるべき状況も見当らず、右記載は必ずしも実際と合致しているとはいえない。また、鎌田医師は幸代に対し入院時より継続的に輸液を行つつているので脱水症状の治療としては欠けるところがなく、従つて幸代の脱水症状に対する何らの処置もしなかつたという主張は失当である。
(5) 前記認定事実及び<証拠>によると、鎌田医師は昭和五二年一二月四日朝幸代の血液検査を行い白血球数が二万一〇〇〇に急増していること、幸代の血液型B、D(Rho)因子プラスであることを確認し、また手術に際して幸代の心電図をモニターで観察していることが認められる。ところで、被告病院では幸代の肝機能検査を実施しなかつたが、証人鎌田寿夫、同原慶文の各証言によれば、同検査には時間がかかり本件のような緊急手術の場合には間に合わないことが認められるので右検査をしなかつたとしてもなすべき措置を怠つたということはできない。
6 また、原告らは、被告病院の術後管理の過誤を主張する(請求原因3(五))ので検討する。
前記認定事実によると、鎌田医師は幸代に対し入院時以後死亡時までケフリン及びセファメジン(共にスファロスポリン系抗生剤)やビタミン剤等を継続投与し、術後は酸素テントに入れ看護婦に指示して尿の流出状態を観察するなど頻繁に一般状態を観察させ上記に加えて利尿剤等の薬剤を投与させ自らも昭和五二年一二月四日午後五時二五分頃及び同日午後七時頃に二度回診し、翌昭和五二年一二月五日午前六時四〇分幸代がショック状態に陥つた後は直ちに来診して幸代に多量の酸素吸入及び挿管をして気道を確保し、循環増強剤・強心剤・利尿剤・血圧上昇剤及び副腎皮質ホルモン剤(ステロイド)等のショックの治療剤を投与するなど通常とられる治療に努めたことが認められる。ところで、エンドトキシンショックは早期診断が困難で治療は外科的処置による排膿及び感染の抑制と共にグラム陰性菌に作用するスファロスポリン系等の抗生物質を投与し(以上は毒素の作用の防止を図るものである)、ショック症状を呈するに至るとそれに対する治療として補液や酸素吸入を施行し、強心剤・昇圧剤・副腎皮質ステロイド剤等を投与するほかなく従つて死亡率が高く被告病院の行つた右術後処置及びエンドトキシンショックに対する前記治療行為は一応適切であつたというべきであり、他に心須不可欠な採るべき措置を怠つたことを認めるべき証拠はない。
原告らは、幸代が昭和五二年一二月五日午前〇時三〇分頃血圧低下をきたし同日午前二時四〇分頃より一般状態に変化がみられたにもかかわらず鎌田医師は来診しなかつた旨主張するけれども、幸代は初診時から昭和五二年一二月五日の鎌田医師が来診した午前六時四〇分まで手術時を除きほぼ一貫して最高血圧は九〇前後、最低血圧は三〇ないし五〇、体温は三九度ないし三九度五分、脈拍は一二〇ないし一五〇でそれぞれ症状が変化することなく持続しており重篤な腹膜炎の術後にこのような厳しい症状が暫時継続することは通常見られるところでありその間前記のとおり看護婦による経過観察がなされており、エンドトキシンショック発症の認められないこの間に鎌田医師が来診しなかつた事実を以つて被告病院に採るべき措置を怠つたとみることはできない。
以上のとおり、被告病院又はその履行補助者である鎌田医師が初診後術前術後を通じ幸代の症状に応じて通常医師としてなすべき処置をしてきたものというべきであつて債務不履行の事実はなく、他に幸代の死亡原因となつたとみられる作為又は不作為義務の解怠があつたことを認めるべき証拠がないから、原告らの本訴請求は失当というべきである。<以下、省略>
(吉田秀文 村田長生 土屋三千代)